なぜ、今、カラダ大学なのか?②

カラダ大学・事務局の神西です。
前回のブログを読んでいただいた方々から、たくさんの応援メッセージをいただきました。
本当にありがとうございます。
ここ数年間あまり表に出ることなく、地道に活動してきましたが、そろそろお前も外に出てこいと、お天道様に言われているように感じている今日この頃です。
なので、今日もカラダ大学に込めた我々の想いを綴ってみたいと思います。
私がパーソナルトレーニングジムの開業に携わったのは10数年前でした。その頃は健康やカラダに関する情報が連日メディアに溢れるようになり、これがカラダいい!とテレビで放送されればスーパーマーケットで即売れ切れ!ということもよくありましたね(今でもあるか!?)。今はこのエクササイズがトレンド!という感じで、流行り廃りが激しかったようにも思います。
そして、周囲からよくこのような声を聞きました。
「結局、何が正しいの?」
そのような時代の中、「正しいことが一般に人たちに伝わっていない」「正しい情報を多くの人に伝えたい」という想いからトレーニングジムをスタートさせました。
そして現在。
その当時よりも研究や理論に裏付けされた確かな情報も一般の方々に届くことが多くなったように感じます。これは、トレーナーやインストラクターの方をはじめ、研究者やこの業界に関わる多くの方が努力された結果だと思います。
同時に、ネット環境の向上により、情報の多さはさらに勢いを増す傾向にあると言えます。さらに、以前よりも健康やカラダに関するサービスは多様化し、ありとあらゆる情報が日常の中に溢れています。そして、周囲からよくこのような声を聞きます。
「結局、何が正しいの?」
10数年前と同じです。。。
しかし、その声を聞いたとき、私の中に次のような問いが浮かびました。
「そもそも『正しさ』とは何なのか?」
そもそも真に正しいと言えるものはあるのだろうか?
ある人にとっての正しさは、別の人にとっての間違いであることも往々にしてあるもの。
もちろん、カラダに関しての基本的な情報としての正しさはあるのかもしれないが、これが正しい・これが間違いだと言いきれるものは存在しないのではないか。
周囲から極端だと言われてながらもダイエットを頑張って成功して喜んでいる人も、そうは言っても白いご飯はやめられません!と言って笑顔でおかわりしている人も(あれ?俺か…)、自分が納得して選択しているのであればそれはそれでいいのではないか。
『正しさ』とは、情報やサービスの出し手の責任もあると思うが、情報の受け手の「選択」の問題でもあるのではないか。
我々はついつい唯一無二の正しさを求めてしまいがちになるけれど、正しさとは自分で選ぶもの。
つまり、「正しさとは自分の中にある」。
では、何を基準に選択をするのか?
それは、「自分が本当に大事にしたいことは何か?」「自分のカラダと心が本当に心地よいと言っていることは何か?」という問いなのではないか。
そして、この問いは、自分のカラダに関してだけのものだけでなく、生きていく上での選択においても大事な基準なのではないか。・・・
このような考えが巡りめぐり、カラダ大学へと行き着きました。
カラダは自分の大地。
大地への関わりはとても根源的なように感じ、生きる上で大切なことと深く繋がっているように感じるのです。
神西