

ネガティブな感情は恥なの?
「私は今はやりたくない」「私は嫌って感じてる」 そんな感情を持つことは悪くない。 それなのに、なぜか自分の中に閉じ込めてしまう。 「やりたくない」は甘えかな? 「嫌!」って言ったらどう思われるだろう? ただ湧いてきた感情を、そう感じた自分を攻めてみたり、 まわりの人たちの視線を気にしてしまったり、 どうしてか? 自分の感情に蓋をして閉じ込めてしまう。 ストレートに感情を出すのは恥ずかしいことですか? 大人の世界では今、その感情をありのまま受け止めるってことをする人が多くて、 自分で「嫌なんだなー」って受け止めてあげることが大事っていうけれども、 感情を閉じ込めちゃう人が、内省するのって、とても難しい。 内省して、自分を受け止めているようで、受け止めていない。 結果、その感情は違うかたちで立ち現れてくるように思う。 身体が疲弊したり、呼吸が浅くなったり、熱を出したり、 違う感情にすり替えられて、過度に癒しを求めたり、褒めてもらいたくなったり。 他者に向かって伝える必要はないかもしれないけれども、 その出発点になった感情って、ストレートに出しちゃ、い


卒業生しても学びは続く。
今日は月2回開催の「何かを目指さないyoga」レッスンからスタート。 参加してくれたのは、 フィジカル・インテリジェンス・コミュニケーション講座か、 パーソナルセッションの卒業生のみなさまでした。 こうやって卒業後も定期的に顔を見せてくれる方々がいて、 2年という時間とともに「学び場」らしくなったなーと感慨深い。 カラダ大学は、フィットネスクラブやヨガスタジオのように 「通い続ける」ものではなく、 ある期間、コミットしてカラダから自分を見つめ、成長する場所。 だから、講座も卒業があるし、実はパーソナルセッションにも卒業があります。 最初は私自身が一期一会に真摯に向き合うためにも、 会員制ではなく、期間限定でセッションすることをのぞんできました。 でも、そうやってセッションを続ける中で 「人それぞれの歩み方」があることも学ばせてもらった気がします。 短期集中で成長していく人。 止まりながら成長していく人。 長く細く成長していく人。 どの歩み方であっても、ここに来る人たちは皆、自己の成長を喜びと感じている。 どの歩み方であっても、私はその歩みをともに


今ここにある身体を感じていますか?
あっという間に9月も最終週。今年もあと三ヶ月ほど。 この週末は久しぶりに2日間ずーっと自宅時間を過ごしました。 1日目は起きて→食べて→寝る、の繰り返し。 2日目にようやっと部屋の掃除や家事に手をつける気力が出てきて、 夕食後にようやっと何か書きたいなぁって気持ちになり、 先週末の福岡時間を綴っておこうと、blogに向かっています。 3泊4日のほとんどを過ごしたのは、 限りなく透明に近いビーチのそばにある一軒家、こっからハウス。 ここだけが、別次元なのか? と感じるほど時の流れが違います。 というわけで、みんな、こんな感じでお昼寝タイム、笑。 誰もが、社会の中で「求められてきた役割」「なりたいと願ったあり方」 「目指してきた職業や役割」などなど、社会の中での自分を生きている。 でも、その社会から一歩出たところで、 「ただ今ここにある身体」を感じ、感じたことを言葉にしていくと、 ただそこに生きていることだけで、 それぞれが、十分素晴らしい能力を持っていることに気がついていく。 何者かを目指して生きてきた、その証を身体が教えてくれるし、 何者かになら