【カラダ大学お気楽キャンパスVol.4 身体的知性とは(後編)】
この内容はラジオ「カラダ大学お気楽キャンパス」でのトーク内容です。
実際のラジオでのトークもこちらからお聴きください♪
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神西:みなさんこんにちは。カラダ大学 お気楽キャンパスです。
前回に引き続き仲間の、りさちゃんにお付き合いいただいてます。
りさ:「身体的知性とは」の後編なんですけど、
今回は「なぜ、今、身体的知性が大事なのか」をお聞きできたらと思います。
神西:人に関わる仕事をしている中で、周辺から色んな声が聞こえてくるのだけど、
まあ、いつの時代も変わらないのかもしれないけれど、
自分の生き方について悩んでいる人が多いよね。
今人生の変わり目、時代の変わり目って言ってる人も多いし、
みんなが自分らしく生きるってどういうことなんだろう?って
幸せって何だって問うてる人も多いじゃない?
そういう話をたくさん聞くんだよね。
それを、すごい頭だけで考えてるな~、
答えを出そうとしているな~
って感じるし、
ほんとはこうしたいのにでもな~ とか聞くし…
りさ:それってネットの普及で色んな情報を見ちゃって、色んなこと思ったりするってのもあるんですかね?
神西:あるよあるよ~SNSとか見て、あの人はこんな活動してるから~私はそういうのできてないから~とか。
りさ:思っちゃいますよね…
神西:それでね、頭で頭のことを解決しようとするって結構難しいなと思っていて、
身体がすっきりして悩んでたこともどうでもよくなっちゃった~ってことあるじゃない?
何かこうカラダからアプローチする方法も結構あるんじゃない?って思うこともあって。
例えば、自分らしい生き方をしようって色んな講座行ったりするのも、自分の中の気づきのヒントを得たり、
それも全部ありだと思ってるんだけど、でも身体からのアプローチっていうのも一つあるんじゃないかと思っていて、前からもあるボディワークとか
トラウマの解消を身体から解消する方法って昔からあるんだけど、表に出てこないんだよね。
なんか怪しいとかさ。(笑)
身体からアプローチすることで、自分の本質的な気づきを得る方法とか、変化に気づく方法ってあると思っていて、
そのことが、何か助けになるんじゃないかなって思ってカラダ大学を始めて。
そこを探究するって意味あるんじゃないかと思って。
りさ:頭、身体、心ってある中で身体から自分で変えていけそうですよね。
神西:自分の経験を話してみるとね、僕腰痛持ちで腰が痛いのが当たり前で、まわりをほぐしたりしてずっとケアをしてきたんだけど、
腰が痛いのは当たり前で過ごしてきたのですよ。
カラダ大学を始める前も、朝起きると腰が曲がっててゆっくり起きたりしたの。
で、カラダ大学を一緒にやるぞっていう時で真理さんに身体を見てもらったら、
「神くん、その足何?」って言われて。
りさ:え、足?腰じゃなくて?
神西:そう。足。足の指が曲がってて、いつも踏ん張ってる感じで。自分の単なる癖だと思ってたの。何かをつかんでる感じ。
座ってても立ってる時も。で、「腰の原因もそれにあるんじゃない?」って言われて。
そこから毎日足の指をほぐしたり、伸ばしたりしなって言われてやってたの。
りさ:自分で触れる身体のケアをしたってことですね。
神西:そう。毎日足の指伸ばしたりしたの。そしたら腰が痛くなくなったのよ。
りさ:え~!意外なところでつながってるんですね。
神西:そう。それだけだったら身体のことだけだけど、それと同時に、何かずっと何かやりたいなと思ってたの。
コーチングの仕事はやってるんだけど、それと同時並行で何か新しいことが生まれそうで生まれないというか。
何かを始めるのが必要な気がしてたの。
前に進む感じがなかなか生まれなかったの。それが、指がまっすぐなりました。腰がまっすぐなりました。ってなったら、すって物事が進んだのよ。
りさ:まさか足の指の曲がりに気づいて、伸ばしたりケアすると、身体だけじゃなくて、人生というか、ビジネスもはじまったんですね。
神西:そう、だから多分足の指をきゅってしてたのが、何かブレーキになってて、重心が後ろになってたんだよね。
自分の中で前に行くことが怖くて踏みとどまっていたのだなあって、自分の内側の世界に気づけて。
りさ:それが、身体、頭、思考、感情、人生がつながっているって思えた経験だったんですね。
神西:そうだね。何かこう身近なちょっとしたことで、自分との身体との関わり方を変えることで、何か自分の生き方とかに影響することってあるんだな
って思ったんだよね。
自分との関わり方。そう、ここがポイントだよ。笑
自分との関わ方、それが、前半で話してた身体的知性ね、身体が持ってる知恵とかに繋がるんじゃないかなと思って。
りさ:なるほど。だから、身体的知性を使ったら、前に進めるとか新たな可能性が出てくるから、カラダ大学はずっと身体的知性を伝えてきたんですね。
神西:やっぱりさ、身体の知恵を使ったりしようって言っててもさ、みんな自分の身体を乱暴に扱ってるんだよね。
あるものが当たり前すぎちゃって、病気になったら気づくとかあるけど、治ったらまた忘れてしまったり。
自分の足の小指まで労わったりね。
それって根底にやっぱり、自分の身体をものとして扱って、道具として扱ってしまうっていう、根深いものがあるんじゃないかなって思ってて。
もちろん大事にやってる方もいると思うんだけど、
よく最近自分を大事にしようっていうじゃん?
でも自分で自分を大事にしようって難しいと思ってて。
けどね、身体は触れるものとしてあるからさ。
今日もありがとねって声かけたりさ、
内面的にも自分自身のことを受け取れるようになるっていうことが起きてくることがある気がするんですよ。
りさ:5分でも、続けるとかできそうですもんね。
身体磨きというか、自分磨きみたいな。
神西:うんうん。色んなアプローチがあっていいんだよ。
前に進めないっていう時は、日常的にできる、走るとかよりもっと簡単にできることからできたらと思って。
それこそ呼吸とかさ、当たり前にしすぎてて意識してないよね。
りさ:自分の本来の呼吸ができると、
軸があって、地に足がついたカラダになるってカラダ大学のホームページにも書いてますよね。
神西:自分本来の呼吸ってどんなものかよくわからないじゃない。みんな浅いと思うんだよね。
りさ:わかります~、浅くなっちゃってます。
神西:呼吸はそれこそ命の原点じゃないですか。多分この呼吸って酸素を取り込むとかだけじゃなくて、身体に色んな影響をしてると思う。
身体がちがちだと呼吸が浅くなっちゃうし。
そういうことだけでも、小さな積み重ねが、意外と大きな影響を与えるんじゃないかなって。
りさ:そういう小さな積み重ねが、身体が覚えて、自分の軸となっていくんですね。
神西:自分の新しい可能性とか、自分の生きたい人生を歩んでいくっていうのも、何かカラダからはじめていくってあると思う。
この答えのない時代において、身体ってあるからさ。
何かつかめないものって不安じゃない?
でも身体は触れるし、安心感とかもあるような気がするし、そこからアプローチすることもあるんじゃないかな。
りさ:身体的知性についてって前編から聞いていたんですけど、やっぱり身体はそこにあるから
バタバタ忙しい時代の中でも、頭と心に繋がっていって、それが頭、身体、心を整えていって、
人生がある限りそれはずっと続いていくことですよね。
神西:自分の内面的なものって終わりはないから。その時々に自分に問いはあるはずだから。
まあ自分の中の全てを大事にしていって。
りさ:カラダ大学のホームページって難しい言葉だな~って読んでるだけじゃわからなかったんですけど、
お話聞いてわかった気がします。
神西:そうね、自分の身体をどう捉えて、どう関わっていってあげるかっていうのは
自分自身の生き方と繋がってる気がするかな。
以上、カラダ大学お気楽キャンパス「身体的知性とは?」のラジオでトークした内容です。
少しでも、知っていただいたり、自分自身の身体を心と繋げてみてみるきっかけになれば嬉しいです。
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