何があってもあなたの存在は欠けないよ。
自分は欠けることのない、まぁるい存在なんだ。
自分に向けられた否定的な言葉や態度で、
自分が欠けてしまったように感じるときもあるよね。
自分の努力が足りないから、
自分の能力が足りないから、
自分の知識が足りないから、
自分をつい「足りない」存在して、
そこから、不足を埋めようって思う。
それをやり続けると、
ときに、自分を責めてくる相手を嫌ったり、
フィードバックをしてきた人を責めたり、
自分の今の環境のせいにしてみたり。
こんなに私も頑張っているのに……って想いに駆られる。
そんなことを続けて、自分の身体も疲弊している人って結構いる。
かつての私もそうだったし、今でも、その癖はある。
でもね、ようやっと今日、
「あっ、何を言われても自分の肉体まで欠けた感じがない」ってところに来た。
それは、その言葉や態度を受け入れないのではなくて、
相手との間に起きた出来事の意味を、俯瞰しながら感じられたってこと。
自分はベストを尽くしたのか?
それが相手にどう捉えられたのか?
そこから、今の私にできることはあるのか?
そこから、私が学ばせてもらうことは何か?
以前ならぜーんぶ自分か相手のどちらかのせいになり、
そうすると、そこから気づくことも、学びも、繋がりも生まれない。
だから、まずは自分は欠けることがない存在なんだって、知ること。
頭で知るんではなく、身体で感じること。
その積み重ねが、きっと一歩一歩、人を成長させていく。
私の次のチャレンジは、そこからリクエストすること。
はい、ちゃんと自分の想い、考えを伝えることです。
やっぱり、人間は身体ごと成長する。
老化するんじゃなくて、成長すると思う。
年を重ねて、どう身体と向き合うのか、一緒にいるのか?
白髪が増えたり、徹夜ができなくなったり、お酒が弱くなることはあるけれど、
年齢を重ねても、強く、たくましく、しなやかな人っています。
やっぱり、私は身体と人間の成長について考える時間が一番好きね。
昨日はblogおやすみしたけれども、また毎日続けられる限り書きます。
mari