「知識を知恵にする」時間。
今朝は朝起きた瞬間から憂鬱。
やる気が出ないし、何をやるのもめんどくさい。
なんでーー? って、ちょっと立ち止まったら、理由は明白で、
夜のセッションでミニ座学をやる予定があり、
その準備を、頭の中にあるものを書き出す作業が、、、面倒だったのです。
カラダ大学を開校した当時から、
私のセッションでは「理論的に説明」をすることが多くて、
3年を過ぎ、今は、どこまでも未知なカラダのことを、
ある部分を切り取って、知識として落とし込むことに難しさを感じており。
あーー、切り取れるかな?
しかも、テーマは「食べ続けてしまう場合の内分泌と代謝」。
栄養学も漢方も勉強はしたけれど、決して得意じゃないし、
やっぱり「食」って、科学的根拠っていうより、
食べる環境とか、喜びとか、そういうものも大事じゃない? と思っておりまして。
カップラーメンだって、ペヤングだって、
何か一緒に達成した仲間と深夜に食べたら「旨い!」でしょ。
カラダに悪い! って、そうかもしれないけど、
その喜びって、かけがいのないものでしょ。
とか、いろいろ、うだうだと資料をまとめない言い訳が出てきました。
はい。でも、やりましたよ。
はい。ちゃんとミニ座学もやりました。
そしたら、めっちゃ、これが良かった!
内分泌系の連絡網の話をしたところから、
その人の、生きる本質みたいなものにたどり着いたのでした。
カラダの仕組みから、その人が本質的に大切にしていることについて対話する。
病気になるからダメじゃなくて、どうして、その行動が起きているのか?
そこにジャッジメントなしで関わっていくと、本人も未知だったところに触れるんですね。
そんなに簡単に説明できることじゃない、とか
頭で考えるより、動いて感じるほうが早い、とか
いろいろ、やらない言い訳はできますが、
ちょっと、知識から、知識だけに止めないこと、
知性や知恵にするための工夫は、まだまだできる気がしてきました。
フゥ、今日も書いた、笑。
すっきりした気分で寝ます♬
mari