「何者にでもなれる!」としたら?
「何者にでもなれますよ」
ある人にそういわれて、何者にでもなれるのか……と、
嬉しい気持ちと、恥ずかしい気持ちと、困った気持ちが混ざった複雑な気持ちがある。
何者かになる! をやめたのが、つい最近だったから、ってのもある。
これまでの人生でも、十分に「なりたいもの」に一生懸命だった自分がいる。
そして、その世界で、思いっきり走り、つまずき、立ち上がってきた。
ライターとしても、ボディワーカーとしても。
でも、今年に入って、何かぐっと心震える何か、、、を求めている自分がいるのも確か。
それは、職業とか、技術とか、肩書きとか、そういう何者かじゃなくて、
何か「世界観」とか「概念」とか「価値意識」みたいなものに近いもの。
ライターとしても、ボディワーカーとしても、心震える瞬間をたくさん頂いる。
その、心震える瞬間を、もっと広げたいのか?
心震える瞬間の中でずっと過ごしたいのか?
まだ、今の私には分からないけれども、それを探求するために、
今年は、まだまだ自己探求が続き、自分のエゴの声と向き合っている感じがある。
(私のエゴの声はよく「そんなこと、出来なかったらどうするの?」と、
あらゆる逃げ道、逃げ言を考え、用意して、前に進むことを良しとしないみたい)
今日は七夕。
自分がどんな世界を観たいのか?
少しだけ言葉を書き出してみた。
宇宙的バランスのとれた
「地球・自然の美しさ」を内包するエネルギーとともにいたい。
まずは、この願いとともに過ごしてみようと思う。
さてさて、何が起きるかな。
mari