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ネガティブな感情は恥なの?

  • 坂本真理
  • 2018年9月27日
  • 読了時間: 3分

「私は今はやりたくない」「私は嫌って感じてる」

そんな感情を持つことは悪くない。

それなのに、なぜか自分の中に閉じ込めてしまう。

「やりたくない」は甘えかな?

「嫌!」って言ったらどう思われるだろう?

ただ湧いてきた感情を、そう感じた自分を攻めてみたり、

まわりの人たちの視線を気にしてしまったり、

どうしてか? 自分の感情に蓋をして閉じ込めてしまう。

ストレートに感情を出すのは恥ずかしいことですか?

大人の世界では今、その感情をありのまま受け止めるってことをする人が多くて、

自分で「嫌なんだなー」って受け止めてあげることが大事っていうけれども、

感情を閉じ込めちゃう人が、内省するのって、とても難しい。

内省して、自分を受け止めているようで、受け止めていない。

結果、その感情は違うかたちで立ち現れてくるように思う。

身体が疲弊したり、呼吸が浅くなったり、熱を出したり、

違う感情にすり替えられて、過度に癒しを求めたり、褒めてもらいたくなったり。

他者に向かって伝える必要はないかもしれないけれども、

その出発点になった感情って、ストレートに出しちゃ、いけないのかな?

湧き上がる感情を抑えることが良いことなのか?

湧き上がった感情のままに生きた経験がある人だけが、

その感情を受け止め、内省を繰り返すことができる。

そして、いつか他者の感情も受け止められるんじゃないかって、思う。

私自身も、言いたいことを言っているようで、感情は出さないほうだった。

辛い、いやだ、不安で仕方ない、、、

ネガティブな感情が自分にあることが恥ずかしかった。

それは違うんじゃ? って思っても、

言わないほうが良いっていう選択をしたことも多い。

でも、最近、自分の感情を思いっきり出してみることにチャレンジしている。

そうすると、その感情の奥にある、恐れや怒れの理由が見えてくることが多い。

恐れの正体を掴むと、なんだか自然と覚悟が決まってくる感覚がある。

「それは嫌だな」「それは違うと感じる」って言われる仲間たちは大変かもしれない、、、ごめん。

今日、理事を勤めているユース・レジリエンス研究所の仕事で

不登校の生徒たちが通う板橋フレンドセンターを通しても感じたこと。

「今は一緒にやりたくない」

って、自分の意思を私にちゃんと伝えられる生徒はすごい。

きっと、彼らは次の階段を一歩ずつ、自分をごまかさずに歩める子たち。

「言ってはいけない」ってタイトルの本もあった気がするけれども、

もし、そう感じることが増えているならば、

「言ってみる」選択を意図的にとってみたらどうだろう?

今日、フレンドセンターのレッスンで平賀きょう子先生も言っていたけれども、

他者に言えなかったら大地に、空に、海、山に向かって叫んでみるのはどうだろう?

もう、感情に蓋をして過ごすことから卒業しませんか?

大人だって、感情を出す時間と場所が必要なんですから。

mari

 
 
 

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